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夢はなんですか?

小林 幸一郎KOICHIRO KOBAYASHI

ーNPO法人 モンキーマジック代表理事
ー日本パラクライミング協会共同代表
ーフリークライマー / パラクライマー

1968年生まれ52才(2021年1月時点)、視覚障害のあるクライマー。
障害者クライミングの普及活動を精力的に行う団体NPO法人モンキーマジック代表。
その傍らで2021年9月モスクワで開催される世界選手権視覚障害B1クラスに5連覇をかけて挑む現役バリバリのアスリート。

「小林君の夢はなんですか?」

東京都北区田端で過ごした幼少期。運動も勉強も大嫌いで、嫌いなことはとにかく避けた。体育の授業ももちろん大嫌い、かけっこもいつもビリ。

子供の頃はみんな投げかけられる大人からのこういう質問「こういちろう君の将来の夢は何?」には、大人が喜びそうな言葉を適当に並べてその場をやり過ごした。頭は勉学のためではなく大人が喜びそうな事を見つけ面倒なことを避けるために使った。

大人に言えない夢を隠し持っていた訳ではなく、夢として話せることが本当に何もなかったんですよね…
でもなんて言えば大人が喜ぶかはわかっていました

中学校に進んでも、基本的な性格は変わらず、苦手なスポーツ関係の活動やクラブは避け続けた。青春の思い出のシーンを脳内に探ろうとしても、みあたらない…。楽しいことがコレといってなかったのかもしれない…。

高校に入学してからも変わらなかった。漠然と自問自答するようになってきた。「なぜ自分には夢中になれるものがないのか?みんな部活やクラブや何かしらに打ち込んでいるのに…」

高校2年生16才。そんな「無」の学生に変化のきっかけは突然訪れた。

ようやく見つけた「クライミング」という居場所。

高校2年の春ころ、何か目的の本がある訳でもなく立ち寄った本屋。
高校2年より前の記憶はうっすらなのに、この頃あたりから少しずつ記憶の解像度が上がって、瞼の裏によみがえってくる。

手にとったのは、「岳人」か「山と渓谷」(※言わずと知れた山岳雑誌)。なぜその本を手にとったのかは、はっきり覚えていないが、内容と掲載されていた写真ははっきりと覚えている。

アメリカからやってきた新しいスポーツ・アクティビティとしてのクライミング。金髪の超イケメンが、すごく綺麗な岩を登っている様子を撮影した写真だった。

誰かとの競争に勝てれば良い。早ければ早いほど良い。と、これまで教わってきた苦手なスポーツのルールとは異なり、「自分の限界に向き合う」という言葉が心に刺さった。

どれくらい立ち読みしたかわからないが、すぐに行動に出た。

同じ紙面に掲載されていたクライミングスクールの中で一番受講料の安いところへすぐに電話し、「高校生でもいけますか?」と尋ね、参加することにした。

クライミングは面白かった。それと同じくらいに面白かったのが、そこで出会ったいろんな大人たち。彼らの人生や各々のライフスタイルに接することになる。

これまで家族と先生以外の大人と接することはあまりなかったのに、すっかりその大人たちが集まる場所—クライミングというコミュニティが「居場所」となり、高校時代の多くの時間をそこで出会った人たちと過ごした。その中には、作家・寺山修司の付き人だった人もいた。

本当にいろんな生き方があるんだなあと。自分の世界が広がった感じがしました。

父の他界。「生き方」を考えはじめる。

高校の時のクライミングとの出会いはその後の人生を変える大きな出会いであったことは間違いない。

大学に進学した後も引き続きクライミングは続けた。
本業である学業はそっちのけでアルバイトに打ち込み、1日10時間、週5日で働いた。
そんな大学生活を送っていた時、生き方を変えるもう1つ大きな出来事が大学2年20才の時に訪れる。
父の他界だ。

普通の家庭とは違った父親との関係性でした。複雑な家庭環境で、会社経営者であった父親とは、時折しか会うことができなかった。当時の自分にとって「父親の死」は大きな出来事で、「生き方」を考え始めるきっかけになりましたね。

父の死がきっかけということではないが、アルバイトで貯めたお金は、アメリカ、オーストラリア、韓国、それぞれ長期の旅行に使った。
見るものすべて、聞こえるものすべてが、刺激で、ここでも視野が広がった。

韓国人の友達の実家に遊びにいった時、玄関先でその友達の母親に言われた言葉が刺さった。
韓国と日本の歴史の問題。
結果として暖かく迎え入れてはもらえたが、この時の出来事がきっかけで、日本の歴史、日本人とは?を探る旅も続けた。

大学卒業後は、いろんな旅をしてきた経験をいかし旅行会社へ就職。

配属先は営業部、ノルマに終われる日々の中、思い描いていた人生観と理想の仕事との相違が大きく、アウトドア用品メーカーへ転職。
カスタマーサービスを担当し、お客様や関係者と良好な関係を築き、休みなく働いた。アウトドアフィールドへ出向き、フライフィッシング、カヌー、マウンテンバイクなどなどいろんなアクティビティを人に紹介、流れる時間を忘れるほどだった。

自分にとっての天職だと思いましたね。

ある時、フライフィッシングの毛鉤が見えにくく感じ、気がつけば運転中に道の先の状況が判別しづらいと感じるようになってきた。
視力検査では常に2.0。視力が落ちてきたのかなと感じた。

世の中ではちょうどwindows95が急速に広まり、さまざまな業界の職場に導入される頃で、多くの人がパソコンのモニターを注視しする仕事に切り替わっていった時代。
例に漏れず自分の職場にも導入され(導入されたのはMac)、多くの時間をパソコンの画面に向かって行い、確かに目を酷使している状況の中での出来事だった。

しかし、状況は思っていたよりも悪く、メガネ屋さんにはすぐに眼科へ行くことをすすめられ、病院へ。
自分が目の難病であること、治療法がないこと、いずれ視力が失われることを医者から説明された。

すぐに受け入れることはできませんでした。
まだ見えている部分も多かったので、職場には相談しつつ仕事もそのまま続け、仕事の忙しさのせいで以前ほどではないですが細々とクライミングも続けていました。
ちょうど人工壁で登れるクライミングジムが街中に出来始めていた頃でした。

なんとか続けてきた仕事も、32才の頃には難しくなってきた。
会社にも申し訳ない気持ちになり、退職を決意。
独立起業に向かう。
ビール好きが高じて、ハワイのクラフトビールを日本に持ち込み、販売する事業を企て出資者も現れたが、そんな矢先に2001年9月11日アメリカで同時多発テロが勃発。企てたことはすべて流れた。

失われていく視力のこともあり、途方に暮れ、また、ガラパゴスへ船の旅に出た。
8日間ずっと太平洋の大海原の上で過ごした日々、向こうの水平線を見続けた。
これから目が見えなくなる自分のことを考えた。
あまり悲観的になるのはやめよう。
目先のことだけじゃなく、もっと遠く先の将来も考えて行こう、という前向きな気持ちに、自然となってきた。

そんな中、また運命的な出会いを迎え前向きな気持ちをさらに強めることになる。
全盲のクライマー、エリック・ヴァイエンマイヤーとの出会いだ。

目が見えなくなる中で、新しい可能性を見出し夢や希望を持つことができた。

2002年。34才の頃。アメリカのコロラドで友人の結婚式に招かれた時のこと。
友人に、自分の目の病気のことを話したところ、全盲でエベレスト登頂に成功したアメリカ人がコロラドにいることを伝えられる。
目が見えなくなることを受け入れる過程で、目が見えなくなる生活や生き方に備え色々調べている頃だった。

視力を失い、障害者となることで、やれることが激減していくことを覚悟している最中、自分よりもっと見えない全盲の人がエベレストに登頂したという事実は、とても勇気づけられ、ショックといっていいほどの衝撃だった。
いてもたってもいられず、エリックに会いにいくことにした。

快く迎え入れてくれたエリック。色々な話をした。一緒にクライミングにもいった。
目が見えない彼に、難易度の高いクライミングをまざまざと見せつけられ、更なる衝撃を覚えた。

そんな彼に言われた言葉が忘れられない。

アメリカでは多くの障害者が、クライミングを通じて失いかけた自信を取り戻したり、新しい可能性に気づいたりしている。
まだ日本にそのような活動がないのならば、コバ、君がそれをやるべきじゃないか?

この言葉によって、自分がやれているのなら他の障害者にもクライミングの素晴らしさを伝えられるのではないかとぼんやり考え始めていたアイデアの背中を押してくれた。

帰国後、程なくしてモンキーマジックの活動を立ち上げ、2005年8月にはNPO法人化。
視覚障害者にクライミングを普及させる活動を始める。
障害者の可能性を広げたい。いつしか強い信念となった。

当初は難航した。「そんな危険なことをさせるわけにはいかない。」と言われた。
しかし、諦めなかった。障害者のための学会やセミナーに頻繁に足を運び、学んだ。そして発信を続けた。

今ではモンキーマジックの仲間が全国16都市にいて、ボルダリング壁を設置する盲学校も全国各地に増え始め、信念を共にして活動している。

活動の実績だけ見られると、逆境に負けず、障害を乗り越えてすごい偉業を達成した鉄人みたいに言われることもあるけど、僕も人間なので、気持ちが落ち込むこともあります。
不安にかられることもあります。
誰にも必要とされてないんじゃないかと思うことさえも。

でも、きっとどんな人にも不安はあるはずです。不安だからやらない、やれない、なんて言い訳をするんじゃなく、やれることは探す方がいい。
探せば見つかるかもしれないそれを見つけてやれることからやり始める人生の方がきっといいだろうと思う

本当に活動の経歴を追えば、アスリートとしても社会活動家としても素晴らしい実績がずらりと並ぶ小林幸一郎さん。偉ぶる様子は一切なく、弱い部分やだらしない部分も隠さず友達のように接してくれます。だからこそ身近に感じ、共感でき、勇気づけられ、自分にもできるのでは?と思わせてくれるのだと思います。

可能性を広げてくれる人、そんな小林幸一郎さんとNPO法人モンキーマジックを私たちROKXは応援していきます。