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大事にしているのは人とのつながり。
家族・仲間・お客さん
みんなのライフスタイルに寄り添う
クライミングジムでありたい。

浅井 政臣 MASAOMI ASAI

27歳の時、親戚の家業を手伝う形で、それまで務めていた保育士の仕事をやめてはじめることになったクライミングジムの運営。

そこにはクライミングジムを通して生まれた様々な人と人のつながりがあり、自身もそのつながりの一部となり、さらにつながりを広げていく。

ソーシャルディスタンスを徹底しなければならない今、改めて、そのつながりを絶やさず維持しつつクライミング・ボルダリングを教育の観点から子ども達にも教える活動を日々繰り広げる。`

カラダをフルに使って遊んで楽しんだ子ども時代

ほんと落ち着きのない子どもでしたね(笑)

とにかく外で遊ぶことが大好きだった少年時代。釣り、キャンプ、海遊び、山遊び、記憶を辿れば様々な遊び場が浮かぶ。

遊び場だけでなくスポーツに打ち込むにしても、水泳、野球、サッカー、バレー、バスケなどなど、球技全般、1つに絞らずカラダを動かし筋肉を使うことを楽しんだ。

中学生から高校時代はより一層バレーに夢中になり、相手にも自分にも負けたくなくて、色々な部活に参加させてもらい、身長がバレーボール仲間の中では小さい方で、負けず嫌いもあって無我夢中で、高みを目指しジャンプしていた。

子どもたちと遊ぶことは今でも大好きですね

ジムの運営を始めるまでは保育士の仕事もしていたこともあって、親子クライミングを月に2回行っている。

クライミング、ボルダリングを通して、家族でのコミュニケーションや、共通言語が、『あのホールドどうもったら良いかな?』など家庭での会話など親子で一緒にできるスポーツだと思っているからです。

僕がジムで特に大好き時間は、毎週木曜日にはキッズスクールで子ども達がどう考え、どう表現をしていくかを目の当たりにできる素晴らしい時間です。

クライミングとジムを始めたきっかけは家族

家族の仕事を手伝う感じで、妻の兄と一緒にはじめたジムの運営。それがはじめてのクライミング・ボルダリングとの出会い。

元々いろんなことやってきた性分。初めての世界に飛び込むのも、初めての事に挑戦するのも、嫌いじゃなかった。

やってみて、嫌だったらやめればいいかな?くらいの軽い気持ちでしたね(笑)
はじめてのボルダリングは出来なさすぎて想像以上に楽しかった。
ジムを通して知り合った人たちとのコミュニティがとても居心地がよかった。
いろんな人と知り合い、関わり合えるクライミング・ボルダリングはそのスポーツ性・ゲーム性ももちろん面白いが、それ以上に人との関わり合いが楽しくて仕方なかった。

コロナのせいで壊したくなかった「つながり」と、「クライミング・ボルダリングのあるライフスタイル」

2020年、新型コロナウィルス感染症拡大のおかげで、ジムへの客足は激減。僕たちだけじゃなく大阪中のクライミング・ボルダリングジムもみんな大変な目にあった。

目先の売り上げを確保する意味ではなく、これまで作ってきたジムを通じたつながりや、スタッフやお客さんみんなのライフスタイルを壊さない。ジムを潰さない。そんな思いでクラウドファンディング「SAVE OSAKA CLIMBING GYMS」を立ち上げ、先頭切って大阪中のジムに声をかけて共同で支援を募った。

大阪中のジムの関係者ってほぼ全員知り合いなんですよ(笑)
本当にほぼ全員、誰かしらどこかしらでつながっていて、知り合いの状態。競合店なんて意識はなくて、どちらかというと運命を共にする共同体や仲間という意識。みんな同じ想いでいるんじゃないかな。

コロナによる危機を乗り越えた先に、大きなうねりを持って大阪・兵庫のクライミング・ボルダリングシーンをより一層盛り上げたい。